ドイツ光学工業全盛期のカメラ イコンタ


左から順に、セミイコンタI(520, テッサー7.5cmF4.5)、スーパーセミイコンタII型(531, テッサー7cmF3.5)、
スーパーセミイコンタV型(531, テッサー75mmF3.5)

光学の歴史はドイツの歴史であると言っても過言ではない。中でもカール・ツァイスの存在感は極めて大きい。イエナ大学の講師であったエルンスト・アッベは、ツァイス社の創設者カール・フリードリヒ・ツァイスの求めに応じて光学の研究を進め、理論に基づいて設計した光学機器が極めて高い性能を発揮することを実証した。その理論を実現するために不可欠な光学ガラスの開発製造はアッベ、ツァイスとともにオットー・ショットが設立したショット社が担い、アポクロマートレンズに必要なガラスなど、様々な新しい光学ガラスを世に送り出した。真理と理論に立脚した理想主義的なものづくりは、カール・ツァイス財団の崇高な企業理念と相まって、カール・ツァイスの名に圧倒的・絶対的な響きをもらたした。

ここで紹介するカメラ「イコンタ」は、そのカール・ツァイス財団がかつて傘下に持っていたカメラメーカ、ツァイス・イコン社が初めてオリジナルに設計したカメラである。「初めてオリジナルに」というのは、ツァイス・イコンは第一次世界大戦により疲弊したドイツにおいて、4つの有力カメラメーカーがカール・ツァイス財産の主導により合併して生まれた会社であり、当初はそれぞれ元のメーカの既存製品を製造販売していたからである。イコンタはツァイス・イコン社設立の3年後である1929年に発売が開始され、当初は6x9判のカメラであった。1932年にはその半分の画面面積を持つ6x4.5判の「セミイコンタ」が発売され、これらに距離計(被写体までの距離を光学的に計測し、それによってピント合わせをする機構)が装着された「スーパーイコンタ」「スーパーセミイコンタ」が発売されたのが1934年となる。

戦前のツァイスのレンズはそのシリアルナンバーから正確に製造年を特定することができ、上のカメラはそれぞれ1936年、1932年製造であると分かる。既に製造から80年前後を経ており、一見するとただの古ぼけたカメラにしか見えない。しかし仔細に調べてみると、これはまさに、ドイツ光学工業全盛期に理想主義的に作られたカメラであることが分かる。素材・加工とも素晴らしく、また製造時に微調整するような組み方ではなく、理詰めに組んでいけば自ずと精度が出るような設計になっている。「似たようなもの」は作れても、とうてい「同じものは作れない」というものになっているのだ。しかしこれでも、ツァイスにとっては赤子の手をひねるようなものだったのかも知れない。ツァイス・イコンはこのころ、コンタックス(1932年)や、日本ではその価格が家2軒分に相当すると言われたコンタフレックス(1935年)など遥かに複雑で高機能なカメラも生み出していたのだ。

改めて今回のカメラの現物を観察する。シャッターは全速快調に作動し、距離計も正確に連動する。クロームメッキされた部品はまるで最近作られたかのような輝きを保ち、ボディに張られた貼り革やストラップ、蛇腹の革も後の国産カメラよりもずっと良い状態で、極めて高品質な素材が使われていたことがわかる。長年の使用による汚れが見られたが、下に述べるように簡単な分解清掃で元の輝きを取り戻した。このカメラに使用するフィルム(120フィルム)は幸い、現在でも製造が続けられている。そこで最新のフィルムを詰めて撮影してみた。「鷹の目」と呼ばれ世界中で絶賛されたレンズ「テッサー」は、極めて先鋭で美しい像を結んだ。80年前の製造者は、一体何年使われることを想定していたのだろうか。当時、カメラは「一生もの」と呼ばれていた。もしかしたら本当に、100年の歳月に耐えられるカメラたり得るよう意識して製造されたのかもしれない。

このカメラが製造された1930年代は同時に、ドイツを再び暗い影が覆いつつある時代でもあった。1933年にヒトラーが首相に就任、翌年には全権を掌握する。そして1936年には、国中に巨大なハーケンクロイツ旗をずらりとかかげ、ベルリン・オリンピックが開催された。このカメラは、その後の激動の世界をどのように生き抜いてきたのだろうか。もしかしたらこのカメラにとっての最大の危機は、1960年頃から世界を席巻し始める、もっと便利で簡単に使える日本のカメラだったのかもしれないが、きっとその身を救ったのはそのものが今も発する、作り手の思いだったのではないか。

解説動画

イコンタについて

120フィルム使用のイコンタには画面の大きさ別に6x4.5, 6x6, 6x9 判の3種類があり、それぞれ「セミイコンタ」「イコンタシックス」「イコンタ」と呼ばれる。これに連動距離計を備えたものには「スーパー」が付く(ただし1950年までの6x6モデルは「スーパーシックス」と呼ぶ)。距離計がレンズと連動しないものは「メスイコンタ」と呼ばれる。スーパーセミイコンタとスーパーイコンタ(つまり6x4.5判と6x9判)は設計に共通点が多く、それに対し6x6判のスーパーシックス、スーパーイコンタシックスは設計が大きく異なる。

スーパーセミイコンタは細かく分けると6つの世代に分かれるが、使い勝手の点では大きく3つに分かれると言って良い。初期型(530型)に対し、531型からは二重露出防止機構(上の写真で赤線で囲った部分、シャッターボタンと巻上げノブがついている)が装備され、フィルム巻上げ前・巻き上げ済みの表示(青矢印)も備わっているために、二重露出や空送りの可能性が小さくなり使い勝手が大幅に向上した。初期のF3.5レンズは焦点距離が7cmであったが、後に7.5cmに変更され画角が狭くなるとともに、前蓋が深くなりカメラの厚みが増した。戦後になるとレンズにコーティングが施される。全てのタイプで巻き止め機構(フィルムが1コマ分進むと巻き上げがロックされる機構)は付けられていない。

上の写真では、二重露出防止機構の巻上げ済み表示を示している、左は撮影前(巻き上げ後)の状態である。シャッターがセットされた状態でシャッターボタンを押すと、表示が赤からシルバーに変化する。このときは、シャッターがセット済みであってもシャッターボタンは押せない。またもちろん、シャッターがセットされていなければシャッターボタンは押せない(レンズ側にロック機構が付いている)。巻上げノブは対称構造になっているので、矢印のついた部分のどちらでも持ち上げることが出来る。このノブを半回転ほど回すと表示が赤になりロックが解除される(ただし巻止め機構ではないので、ノブをさらに回すことができ、赤窓を見ながら1コマ分を巻き上げる必要がある)。

上の写真で、赤矢印で示しているボタンはカメラを展開するボタンで、これを押すと前蓋が開きレンズ部分がセットされると同時に、ファインダが立ち上がる。ただしドレイカイルプリズム部分は別途、手動で起こさなければならない。イコンタのうち一部のモデル(初期の531型など)ではファインダはアルバダ式になっているため、視野の境界はブライトフレームにより明快に示される。6x9判ではフレーム表示にセルロイド板を使っており、これが劣化したものが多く見られるが、このセミイコンタではガラスレンズしか使われておらずその心配はない。

ここで示す531の初期型(II型)はノンコートレンズであるが構成枚数が少ないためにコーティングのあるレンズとの画質差が小さく、画角も使いやすく、上の写真のように蓋を閉じた時の厚みもかなり薄いため、モノクロ撮影については、個人的にもっともおすすめできる機種である。なお焦点距離の7cmは6x4.5判の画面(56x41.5mm)の対角線長にほぼ一致し、画角は35mmカメラで43mm相当となる。

一方、距離計を備えないイコンタも、その変更点はスーパーイコンタに準じる。上の写真のモデルは極初期のセミイコンタ(520)で、後の521にあるような多重露出防止機構がなく、またボディ側にシャッターボタンがなくレンズ脇(8時の方向)のレバーを直接操作しなければならない。またファインダは光学式であるがアルバダ式ではない。レンズにはテッサー 7cm F3.5 のほか、トリプレット型のノバー 7cm F3.5, 7.5cm F3.5, 7.5cm F4.5 を搭載しているものが多く見られるが、このカメラは比較的珍しい 7.5cm F4.5 のテッサーレンズを備えている。距離計や多重露出防止装置はないが、このカメラの美点はその軽さにある。上のスーパーイコンタ531の重さが566gであるのに対し、このイコンタ520は412gしかない。

戦後のイコンタはレンズにコーティングが施される。テッサー型レンズは空気界面が6面しかなくコントラストはさほど低くないが、カラー撮影ではコーティング付きのほうが鮮やかな色彩の写真が撮影できるだろう。レンズにはZeiss Opton 銘のものと Carl Zeiss 銘のものがあり、後者に人気があるが、実際にどの程度差があるのかはわからない。最終モデル(イコンタVと呼ばれることが多い)は一時期は15万円前後と非常に高価であったが、現在(2019年)ではかなり落ち着いた価格となってきている。

3台のイコンタを背後から見たところ。赤窓が2つついている2機種は、69判用の裏紙の番号をそれぞれの窓に出すことで645判での撮影を可能にしている。多重露光防止装置のついていない520型ではフィルムを右へ送るので上寄りに窓がついているが、II型ではフィルムを左へ送るように変更されたので赤窓が下へ移動している。III型以降は645判のために設けられた番号を使用するため赤窓が1つになった。右のカメラは最終期のいわゆるV型で、戦後のIV型ともども532型とも呼ばれるが、裏蓋に型押しされた番号は531となっているように正式には531型である(532型などと呼ばれるのは戦後型を区別するための俗称であろう)。後のモデルほどメッキ部(銀色の部分)が増えている。

同じ3台を積み重ねてみた。初期のものほど薄型である。V型は三脚穴が近年のカメラと同じ細いタイプであるが、古いモデルは中判カメラ等で見られる大きいネジ穴になっている(一番上の520型には細ネジに変換するアダプターを付けている)。ボディ部分の構造や寸法は初期からほとんど変化していない。

画質チェック

約80年前のレンズであるが、極めて高性能であるようなので、ミラーレス一眼カメラを用いて画質のチェックを行った。

上の写真のように、カメラの裏蓋を開け、シャッターをバルブで開放する。そこにレンズを外したミラーレス一眼カメラを置く。カメラのセンサ位置はフィルムゲートよりも下がるためにマクロ撮影になるが、画質のチェックは可能である。このミラーレス一眼カメラ(Sony NEX-5)は1400万画素、画面面積は約6倍異なるため、8400万画素相当の画素密度であると考えれば良い。

上の写真はこの方法により撮影した画像の全体像と、そのうち赤枠の部分を画素等倍で切り出したものである。このカメラの解像度をクリアする画質があることが分かる。国産同クラスのカメラ(パール)と比較すると解像度の高さのほか色収差も小さく、当時は国産に比べショットの製造するガラスの自由度が高かったことが裏付けられる。なおテッサーレンズの絞りはF3.5開放にしてテストした。

試写(スーパーイコンタ531 7cm F3.5)

白黒フィルムによる試写結果。この写真ではレンズをF11付近まで絞っている。隅々までシャープな写りである。

白黒フィルムによる試写結果。この写真では、絞りを開放の近くまで開いて撮影している。合焦部はシャープで、またアウトフォーカス部も流れたりすることなく高品位な写りである。

試写(スーパーイコンタ520 7.5cm F4.5)

つづいて、イコンタ520のテッサー 7.5cm F4.5 による作例を示す。

この個体は経年による狂いがあり、実力を引き出すまでのトラブルシューティングに手間がかかった。ミラーレス一眼レフカメラ等によりレンズの描写を調べると(フィルムゲートにミラーレス一眼レフカメラ等を押し当てる方法。近接撮影となる)十分にシャープで偏心等も見られないのに、フィルムによる試写を行うと、どこにもピントが合っていないような像が得られてしまう。調べたところ、長年の振動等により第2群が緩んでおり、露光中にシャッターのショックでレンズが微妙に動いていたためとわかった。またこの緩みにより、フォーカスリングの距離値と実際の合焦距離の関係も狂っていたが、第2群をきちんと取り付けると、再び元の位置でピントが正しく合うようになった。さらに、レンズとフィルムの平行性が狂っており、片ボケになってしまっていた。しかしレンズそのものの状態はよく、これらの修正の結果、驚くような高性能を見せてくれた。

いずれも開放絞りでの撮影例である。このレンズはF3.5 のテッサーに比べ開放値は暗いが、そのぶん収差量が小さく、開放から極めてシャープで周辺部まで整った像を結んでくれる大変優れた、またどんなときにも安心して使えるレンズである。内部の見えない部品にも細かなローレットが刻んであったり、各部品に極めて小さな文字で同一のシリアルナンバーが刻印されているなど、その後のカメラでは考えられないほど丁寧にコストをかけた作りになっている。

清掃整備

光学系の清掃

このイコンタ(スーパーセミイコンタII)は全体に良好な状態で、シャッターも全速快調に動作するものであったが、レンズ第2面(前玉の裏側)にクモリがあったことなどから安価で入手できた。2000年頃のイコンタは高く、最終型(V型)のスーパーセミイコンタは15万円前後の価格で取引されていたが、現在は落ち着いており、また、戦前のモデルはより安価である。今回の個体(II型)は15,000円程度で入手できた。早速、簡単な整備を行った。

イコンタは前玉回転式であるため、前玉はヘリコイドを抜くと取り外せる。距離目盛りが刻んである銀色のリングを介して距離計と連動することで、無限遠端と最短端で回転が規制される。そのため、まずこのリングを取り外す。分解前に、銀色のリングと内側のレンズ銘板の位置関係を精確に記録しておくこと。そして、セットビス(イモネジ)を3箇所緩める(外してしまう必要はないが、少し緩めるだけでは外れない。数回転させる必要がある)。脱落すると失いやすいので慎重に少しずつ緩めていくこと。

このような箇所でセットビスを用いる場合、普通は無限遠の調整のため回転方向に調整しろを持たせることが多いが、イコンタではそのような簡易な作りになっておらず、ビスがはまる部分に正確に円筒形の穴が加工してある。そのため、組み直した時に距離目盛り(距離計)と前玉の位置関係がずれることはない。ツァイスの工業レベルの高さ、つまり現物合わせを廃し理詰めで製造されていることが分かる部分である。

前玉を回転させて外す。このとき、ただ回すだけだと思って何も考えずに外してしまうと後から困ることになる。普通のネジは溝が1重の螺旋になっているが、ヘリコイドは2重、3重の螺旋になっていることがあり、これがずれるとピントが合わなくなるからである。最初にセットビスをゆるめて銀色のリングを外したときに、まずレンズを無限遠の角度に合わせておく。つぎに、ここから正確に、何回転と何度回した瞬間にレンズが外れるのかを見極める。つまり、ゆっくりと緩める方向に回していくと、ある瞬間にレンズが外れるが、取り付けるときは正確にその外れたときの角度から取り付けるのである。安全のため、レンズを無限遠に合わせた時のレンズの高さ(基部から銘板上までの高さ)をノギス等で測っておくと、取り付けた後から、正しく取り付けられたかわかるので、この作業をしておくことをおすすめする。

ヘリコイドのネジはガタがないように、普通のネジよりも寸法的余裕がない(隙間がない)ように作られているため、慣れていないと再度取り付けるときに入りにくいことが多い。このとき、力任せにねじ込むとヘリコイドのネジを潰してしまう。きちんと入ると極めて軽く装着できるので、焦らずに、目視で正確に並行を保ちながら、正しい角度から弱い力で回していくと、ある瞬間にあっけなく軽く取り付けられるはずである。ヘリコイドの整備に慣れていない人は無理をしないほうが良い。

レンズのクモリは、今回の場合は簡単に取り除くことが出来た。シャッターやヘリコイドのオイルが徐々に揮発し、それがレンズ表面で再び液化することでクモリを生じることもある。このような場合は清掃が簡単である。カビや表面の風化は取り除くことが難しいし、研磨するとレンズの描写が変化してしまうこともある。特にモノクロで撮影するときは、僅かなクモリであればかえって暗部のトーンが出やすくなったりするし、プリント時の号数で補正できるので、無理に取り除こうとしないほうが良い。レンズ表面の無反射コーティング技術はそもそも、風化によって表面が劣化したレンズのほうがかえって透過率が高いことを発見したことに端を発した、という逸話を思い出して欲しい。

距離計の清掃を行う。距離計カバーの前後の黒いネジ(2個)と、ファインダを出した時に見える大きめの銀色のネジ(3個)を外す。それに加え、アイピース(上の写真の、ガラスがはまった銀色のリング)も取り外す必要がある。傷を付けないように養生してから外すとよい。

この頃のツァイスはこの種の棒プリズムを距離計に多用していた。ハーフミラー部分は外部から触ることが出来ないため、整備時に反射面が劣化したり、角度がずれたりする危険は少ない。プリズムの各面を軽く清掃する。距離計カバーの窓も清掃し、元通りに組み上げると完成である。レンズ側についている「ドレイカイルプリズム」部分は極めて精巧にできているため、整備の必要があれば専門家に任せるべきである。

ドレイカイルの整備

一時は非常に高価であった戦後最終型のスーパーセミイコンタVも最近はかなり安くなってきた。かなり安価で外観も良さそうなものを海外オークションで見つけたので購入してみた。しかしこれが曲者で、距離計の像が斜めに動く。つまりドレイカイルプリズム部分を分解した上で元通りに組めなくなってしまった代物であった。幸い重要部分に欠品パーツはなく、レンズや蛇腹の状態も良かったので整備した。

ドレイカイルプリズム部分はユニットとして抜き取ることもできるが、整備はボディに装着したままでも可能である。後ろ側から見ると2つのネジが見えるが、そのうち飛び出したほうのネジを外すと後ろの黒いカバーが外れる。引っ込んだ方のネジを抜いてしまうとドレイカイルがバラバラになってしまうのでこちらは少し(1回転半ほど)緩めるだけにする。そうすると後側の真鍮製パーツが緩むので上を少し開き、ドレイカイルプリズムを抜き取ることができるようになる。先にマーキングしておいてから抜くのが良いが、今回のようにずれてしまっている場合は一方のプリズムを抜いて少しずらすことで、兎にも角にも像が水平に動くように調整するのが第一である。

像が水平に動くようになれば、あとは後側のネジをすべて締めてカバーも閉じてしまって良い。前側の大きなネジを緩めることでレンズと距離計の連動を切り離すことができるので、無限遠で距離計が合うように調整すれば、縦ずれは起きないし、他の距離に対しても距離計が合うようになっている(ドレイカイルプリズムでは、可動像の動く速度はプリズムの形で決まってしまうし、ボディ側のプリズムに調整箇所がないため、無限遠を合わせることですべての距離にわたり距離計が合致する)。